Mississippian and
Yayoi-Kofun Civilizations前書き
日本の弥生古墳文明とアメリカのミシシッピー文明を比べると、多くの類似点が見つかるだろうという強い期待をもって、私たちは、北ジョージアにあるエトワインディアンマウンズへきた。やはり、両方の文明はアジア大陸から東の方向へ移住して広がっていた。
両方の文明は、農業や広い貿易が川の流れに沿って発展した。両方の文明は、王と司祭者のために沢山の川のそばに古墳のような丘を作った。
しかし実際にエトワインディアンマウンズに行って調べてみると、沢山の違いに気がついた。 次に書かれている私たちのマウンズへ行った時の印象はいくつかの違いを見られるだろ。これらの印象はもっと深く調べて行くための第一歩であって欲しい。
古墳とマウンドの大きな違い
エトワマウンズには、大きく3つのマウンズ(A,B,C)がある。弥生古墳は、1人の王の墓であるが、エトワマウンズの一番大きなAは墓ではなく、祭祀を行う公の場所であった。Bはチーフマウンズと呼ばれ、チーフの住居となっていた。Cは墓であったが、1人の王(チーフ)のための物だけでなく、代々のチーフの墓となっていた。
シンボル
エトワインディアンは円の中に鳥(鷲、啄木鳥)、蛇、鹿などの動物を幾何学的にデザインして描いている。大変美しいデザインである。シンボルとして、特に鳥が多く使われていた。もっとも有名なのはイーグルダンサーである。顔には鷲の仮面をつけていた。このスタイル大変興味深かった。しばしば、頭には鳥の羽の他に鹿の角も一緒に用いていたようだ。
弥生古墳ではこのようなシンボルはなかったと思われる。
テクノロジー
縄文弥生に黒曜石などで、矢尻を使っていたがエトワインディアンも同じような矢尻を使っていた。道具の発達の仕方もよく似ていた。エトワでは銅を使っていたが、鉄は使っていなかった。銅は生活のための道具ではなく、飾りとして使われていた。弥生古墳、主に金属は農業と戦いに使われていた。